書物としての『老子』…もう忘れちゃったよ。
思い出しながら、しらべてみました。
1973年、馬王堆漢墓(第三号墓)から前漢初期の『老子』写本が二種類発見され、1993年には、郭店一号墓から楚(戦国時代 (中国))後期の『老子』写本(の一部分)が発見された。これらにはいずれも『老子』という書名は付されていなかった。 前漢文帝時代以前とされる馬王堆本『老子』はほぼ現行本と同じ内容であり、このころに『老子』は完成したと考えられる。ただし、現行本の下篇(徳経)が前、上篇(道経)が後になっている。史記の記述から、『老子』が老子の著作とされたのは、前漢初期より以降武帝時代以前であったと考えられる。注釈としては、魏の王弼(ACE226-249)の「老子注」が最古で、かつ最も普及している。
大自然との闘い・治水が古代から政治課題だった黄河文明に対して、自然の法則(道)と一体化することにより、いわば風向きをうけとめ大きな作用を生もうとする精神は、長江文明の風土を感じさせる。 近年『老子』のテキストが発見された馬王堆漢墓・荊門郭店楚墓はいずれも長江流域である。
「自然を観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。ところが人間社会の制度は正反対をやっている。欠乏している百姓から高い税を取り上げ、すでにあり余っている君主に差し上げる。どこかの君主がその財力で、天下万民のために貢献してくれたら、有道の君主といえるだろう(天之道、損有餘而益不足、人之道則不然、損不足以奉有餘、孰能有餘以取奉於天者、唯有道者乎)」(馬王堆前漢墓帛書『老子』)
過去の文献を基礎とする儒学に対し、目の前に働いている大自然の摂理を見極め、これに逆行する不自然な発想をとりのぞき、政治も軍事も福祉をも抜本的に改善しようとする遠大な理想、聖人の治世が『老子』の主張であった。 また馬王堆漢墓から発見された帛書『黄帝四経』も同じ立場の思想が語られ、『史記』に記された「黄帝・老子(黄老)の学」の内容が改めて明らかになった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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